YUTA KINJO
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人生の”豊かさ”とはなんなのか?
お金やモノでは計れない本来の人の豊かさについて探求しています
“身体のケア”と”映像”で沖縄を豊かにする
沖縄で2つの事業をしています、YUBOKU(ゆうぼく)といいます。
小学時代からのあだ名で、遊牧民が由来だそう。今ではあだ名に寄せるように、自由な生き方を目指し「好きなこと」で生きていけるよう奮闘中。
2008年、24歳のとき、さとうきび畑に囲まれたプレハブ小屋の整骨院で独立。Cafe事業、レンタルスペース事業、アプリ開発、など「やってみたい」と思ったらすぐチャレンジ。
2020年、従業員を数名抱えた”経営”のあり方に疑問を感じ、本当の豊かさとは何か?の問いの答えを見つけるために、整骨院の1人運営に振り切る。
この決断後から、分岐点といえる人生が始まったような気がしています。
海外の旅や、コロナ禍の当たり前の生活が担保されない現状などを体感して、人の温かさにフォーカスした映像事業を本格的に開始。
創業16年の積み上げてきた施術力と、人の温かさにフォーカスした映像、の2つの事業を軸に人の豊かさを生む活動をしています
その他、国内外の旅、キャンプ、コーヒー巡り、サッカーなどが趣味。人生を豊かにをテーマに生きています。
▼▼もう少し細かいプロフィールを綴っています▼▼
歩み〜STORY〜
2008年24歳の時、沖縄県南城市に整骨院を開院。
さとうきび畑に囲まれたプレハブ小屋からノリと勢いで創業。雨漏れや床下浸水、台風でトイレ破損など、なかなかボロボロな環境でSTART。この頃から、どうせ一生に一回の人生なら、面白いストーリー性のある人生にしたいと動いていたような気がします。
プレハブ小屋時代の約3年半は、小さいチャレンジの積み重ね。週に2日は那覇の鍼灸院に出張開設してみたり、専門学校の非常勤講師を経験したり、知人のカフェとコラボ施術したり、と枠にとらわれない動きをしてました。
28歳で長男を授かったタイミングで”ちゃんとしよう”と思い、自由すぎる生活を自制する意味も含め、店舗を移転しスタッフも雇用。僕の中ではここからが”経営”の始まりでした。
そこから数年はスタッフと共に、たくさんのお客さんを受け入れ、地域の大切な居場所になろうと必死に毎日を過ごしました。頑張った褒美に毎年、社員旅行で海外に行ったりも(香港/台湾/タイ/シンガポール)
今振り返ると、小さいながらも資本主義経済の思考でスタッフにも僕の考えを押し付けていたように思います。こう働かなきゃならないと。。
整骨院のスタッフが最大3名いた時期もありましたが、今後の人生の軸をしっかり作るため、やり直すため、2020年6月より1人で運営することを決断。1人になったことで “本当に大切なこと” や “自分は何者なのか” を考えるようになり、
自分らしく生きる・正しく発信するコトの大切さに気づきました。
なぜ自分は存在しているのか?
誰に何を提供しているのか?
どんな人が自分のサービスを喜んでくれているのか?
正しく伝え始めたことで、コアなファンが生まれ、お客様との繋がりもますます強くなりました。
2023年3月、南米パラグアイでの旅が、僕の映像への想いを加速。
僕が作った映像で現地の人がとても喜んでくれ、笑顔の豊かさを目の当たりにしました。
南米パラグアイの旅はこちらから>>>
この体験から、映像を通して人の人生の豊かさの一助になりたい、そんな想いが生まれ『IKOI Film』が立ち上がりました。
映像事業は主に2つの軸で展開しています
☑︎ ドキュメンタリー・インタビュー / 事業や商品・サービスを正しく伝えるPR動画
☑︎ スポーツ / スポーツシーン(部活動やスポーツイベント)
2024年からは本格的に
“身体のケア”と”映像”で沖縄を豊かにする
という理念を掲げ、整骨院事業と動画制作事業で豊かな人生のお手伝いをしていきます。
経歴
2008年 いこい整骨院 開院
2011年 沖縄スポーツ・メディカルトレーナー学院非常勤講師(~2013)
2014年 全中バスケ/佐敷中学校バスケット男子帯同 (ベスト16)
ホノルルマラソン/チームメッセンジャー帯同
2018年 株式会社を友人数名で立ち上げ、アプリ開発
健康カフェ ico.Cafe オープン
2019年 ホノルルマラソン/チームメッセンジャー帯同
2020年 カフェ→シェアリングスタジオ ico.cafe studio に事業転換(現在閉店)
2023年 南米パラグアイ遠征(ビーチバレー合宿)
PR FILM 事業開始
沖縄県南城市の宿「涼風」コラボ企画 “旅動画”
大里中学校男子バスケ帯同(県大会準優勝/全中出場)