パラグアイのピラポ、日系人との交流

南米旅での大きな体験のひとつ【パラグアイの日系人居住地”ピラポ”での奇跡的な交流】の記事です。

2023年3〜4月、ビーチバレー南米遠征&旅の記録。
旅の記事はこちらです
https://ikoi-style.com/paraguay/
さて、日本人ビーチバレーアスリート小島の主導のもと、パラグアイ・ホエナウでのイベントで出会った日系人の子ども達。

「トシがホエナウにもう一泊するらしいから、僕は日本人と交流できる宿があれば移動したいんだけど、どこかない?」
そんなInstagramのメッセージから、ピラポ地区のMさん宅に宿泊させてもらうことになりました。

出会いとタイミングって何があるか分かりませんね。勇気を出して相談して良かった!

泊めてもらうことになったのはMさん宅。だけどホエナウまで迎えに来てもらったのはSさん家族。謎のコンビネーションで無事にピラポに到着しました。

車内で流れてた「ピラポ音頭」に興奮して思わず写真撮りました!

「どういう状況になってるんですか?」車内で自己紹介も兼ねて、どういう流れで僕を泊めてもらうコトになったのか確認。どうやら、僕と連絡のやりとりをしていた17歳の子がS家族。日系人と交流したいという僕の要望を聞いて、母に相談したところ、Mさん宅を繋げてくれたそう。Mさんの次女も昨日のイベントに参加してた子でした。こんなこともあるんだなぁ。「面白いこと起これ!」と念じてて良かった。

Mさん宅に到着。新築の大きな家、敷地。素敵な部屋を用意してくれていて、さらにアサード(BBQ)までご馳走になりました。

日本人が泊まりにくるということで、近くの祖父母も来てくれて交流。Mさん家族8人、Sさん家族3人、と僕。途中で僕の家族ともビデオ電話で繋げて紹介しながら楽しい時間を過ごしました。

みんな親切で、子ども達も素直で、僕の家族にも興味を持ってもらった良い時間。ビール瓶も40本くらい空けたらしい(笑)
リビングではカラオケも始まってて、祖父はなんと沖縄の「十九の春」を唄ってくれました。以前に移民の交流で教えてもらったらしい。カラオケも勧められ、始めは断ってたのに、酔ってきたら歌っちゃってました。40代が分かる懐メロを勝手にリクエストされたらそうなりますね。笑

このピラポ地区。地区から出なければ、生活圏は日本語で過ごせるほど日本なんだそうです。祖父母も両親も家庭では日本語。スーパーでも日本語が通じるので、たまに都市部に出掛けたときにスペイン語が急には出てこないらしい。

でも面白かったのが、無意識に日本語とスペイン語が混ざっていること。例えば、返事は「Si.」と言ったり、日本語よりも短いスペイン語があったら無意識にそれを選択してるようだった。たまに「ん?」て聞き返すと「あ、それスペイン語だったわ」と、どっちか分からなくなるんですって。面白いですよね。

日系3世にあたる子ども達。日本のニュースを見て、日本の歌を聞いて、日本の文化を学んでいる。
中学までは毎週土曜は”日本語学校”があり国語を学んでいる。高校からはスペイン語学校に行くか、日本語学校に行くかは自由に選べるらしい。
「いつか留学で日本に行くことが夢」といろいろと話してくれた笑顔が可愛かった。

普通の日本が、ここパラグアイにありました。

この旅を通して、自分の内面と向き合い、自分が喜ぶこと、やりたいコトを想って思考・行動していたからこそ、この流れが生まれたんだなぁと。この旅のプレゼントでした。

元々パラグアイのことも知らなかったのに、日系人居住地が存在することなんてなおさら分かりません。
祖父は愛媛からこのピラポに入植者第一陣として来たらしい。当時8歳。9歳だっけな。当時の日本は戦後で食糧がなく、日本政府がパラグアイの土地を購入して、入植者を募集。
「南米は資源が豊かで、フルーツも食べ放題で緑豊かな場所だよー」と日本がPRしていたそう。

期待していざ来てみると、ジャングルのような山しかない。確かに緑は豊かで、間違ってはいないけどなぁ、、って感じだったそうです。
みんなで開拓して土地を整備、畑や道を作り、日本人街を作り上げていったそうです。当時の人達の頑張りは相当なもんだったと思います。

真面目で一生懸命に自分たちの地区を開拓してきた日本人の先輩たちを改めて尊敬しつつ、楽しい食事会は過ぎていき、お開きの時間。
もっともっとたくさん話したかったなぁ。名残惜しさを残しながら、満足な気持ちで就寝。気持ちの良いフカフカベッドでした。

翌朝、日本の朝食が用意されていました。
日本米、味噌汁、納豆、卵焼き、焼鮭。ほんと最高。

子ども達の登校に合わせて一緒に出発して、学校に見送り、資料館を見学させてもらった。
そしてなんと、ブラジルとの国境手前のシウダード デル エステまで車で送ってくれました。3時間ほどかけて。

なにからなにまで最高。ほんっっと、Mさん大変お世話になりました!そして、それを繋いでくれたAちゃんには感謝です!この経験はたくさんの人にシェアしたくて記事に残しました。

ピラポの日系人との交流で感じたこと
☑︎ ほとんほどが畑農家
☑︎ 日本語で生活圏は過ごせる
☑︎ 日本語とスペイン語が無意識に混ざる
☑︎ ピラポ地区に関しては、もう日本
☑︎ 日本に行ったら日本人とは感じなく、パラグアイに居たらパラグアイ人ではないという感覚らしい
☑︎ スポーツに対しての負けん気が強い
☑︎ 昔の沖縄に似ている感覚
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