2008年6月10日 PM5:00頃(たぶんw)、さとうきび畑に囲まれたプレハブ小屋に「いこい整骨院」が誕生しました。
YUTA
こんにちは!沖縄県南城市で整骨院を運営しているYUTAです。「なんでプレハブ小屋で独立?」などいろいろ聞かれるので、その経緯や想いなどを綴っていけたらなぁと思っています。参考になるか分かりませんが(笑)最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
倉庫として使用していたプレハブを改装
遡ること2008年3月頃…「独立する!」と意気揚々と決めた当時24歳。
「さて、店舗どうしよう。。」
そだ、実家にプレハブがあった。そこにする?さすがにプレハブ?ど田舎で、通りにも面してないけど大丈夫か?
と少しだけ考えて父親が倉庫として使用していたプレハブでの独立に決定(特に不安や悩みなんてなかったです)
YUTA
今見るとひでぇぇ〜!!!でもほんと、友人たちが手伝ってくれなかったら諦めていたかも。夕方になると「夕日が綺麗だなぁ〜」って言いながらお酒を飲んでました(笑)おかげでOPENもだいぶ遅れましたねw
整骨院の左隣が実家。右・後ろ・目の前はさとうきび畑です。さとうきびが成長していくと、ほんとサトウキビで整骨院は見えなくなってしまいます。そして、目の前の道路は当時、舗装されていないガタゴト道でした。
YUTA
ほんっとうに人や車も通らない道路でしたね。こんな場所でこんなプレハブ小屋、私だったら興味本位でも絶対に入りたくないですね(笑)お客さんからも「仙人が出てくるかと思ったら若い子だったからびっくりした〜」と何度か言われました。
実は「廃業」予定での開院だった!?「高橋歩さんの本」との出会い
そうなんです。私は高校卒業後、柔道整復師の専門学校で大阪へ行き、就職と合わせて計6年大阪にいました。一度沖縄に戻ってきて、整体院で勤めたのですが、また修行しに大阪に行こう!と考えていました。
YUTA
一度独立して”失敗し”て、その学びと悔しさをもって大阪で修行に行きたかったんです。一度独立した視点を経験しておくだけでも、得ようとするものは大きくなると思っていました。
「失敗前提で独立する」そんな人いないですよね(笑)失敗前提なら、初期投資は少ない方がいいのでこの条件でも迷いはなかったです。
YUTA
独立を強く決心したのは、沖縄の整体院で勤めていた時代の、ある本との出会いでした。当時、世界2周目の旅に出ていた高橋歩さんの「毎日が冒険」という本。それはそれは深く胸に刺さりましたね。
著者が20代前半に書き下ろした本ですが、当時24歳の私には「完全にこの人に負けている。何もかも。」と思わされるくらいの大胆な行動力。まずは行動!そのマインドに影響されて独立!となったわけです。単純ですね(笑)
そんなこんなで「いこい整骨院」OPEN
せっせとペンキを塗っては夕方になると酒盛りが始まる。そんな毎日を過ごしながら、ひとまず形になりOPENしたいこい整骨院。
なんたってプレハブ(しかも古い!)。夏は冷房効かず暑いわ、冬は暖房効かず寒いわ。雨漏れもするし、大雨には床下浸水もする。。成長したサトウキビがプレハブに「どんっ」って当たってくる。年中、何かの対策に追われていた気がします(笑)
YUTA
はじめの1年なんてトイレもなかったですからね。実家を案内するか、コンビニで済ませてもらったりしてました。台風時には扉が吹き飛ばされたり、トイレの便器が壊れたり、散々でしたよ。
一番大きな「集客」の壁もあります。。
「さて、どうしよう」待っていてもお客さんは来るはずもない。スポーツをする学生を診たい、というのは決めていたので、知人の子供の部活動に足を運んだり、地道に選手の為になるアプローチをしていきました。
YUTA
紹介の連鎖が生まれました!
友人の子供▶︎その同級生▶︎兄弟組▶︎選抜などで他地域への紹介▶︎その親や祖父母など。ありがたいことに、こんな場所にいろんな人が紹介してくれました。
"口コミ"のみで事業として成り立つように!
"廃業前提"での独立が、口コミでクライアントさんから必要とされ、「そのまま沖縄で継続しちゃえ!」となっちゃいました。この記事を書いている2020年現在も、口コミでの紹介をメインに運営できています。
紹介が紹介を生み、その期待に応え、ひとりひとりのクライアントさんと向き合う。当たり前のことのように思いますが、こんな環境だったからこそ強い想いで接することができたんだなと感じています。プレハブ時代があったからこそ、今後どんなことがあっても頑張れる!!私にとって大切なプレハブ時代。今後たくさんのチャレンジをしていく上でこの記事を振り返り、エネルギーとしたいと思います!
そのうち、このプレハブ時代から移転するに至った経緯なども記事起こししてみたいと思います。「プレハブ時代〜移転で」(続)あるかもしれないのでお楽しみに!